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てんてん
コンサル×ブロガー
平成元年生→デブ→建築学生→Web系事業会社→経営コンサルタント(MGR)|幕張ベイパークと東京×中古×駅近の区分マンション投資で借金1億超|年300万を株式100%投資(ほぼ米国株)|自分の市場価値の高め方やコンサルスキルを活かした資産づくりを研究中

僕の生い立ち詳細(暇すぎる方限定)

変態の世界へようこそ!こんなところまで来て頂いて、よっぽどの変態さんかと思う反面、非常に嬉しいです。僕は1989年10月31日(天才の日)のAB型(天才型)(=奇跡的にポテンシャル高め)生まれで、暗黒の学生時代を経験した人間です。本当に大した内容でもなく、唯一ちょっと参考になることと言えば、「大義や目的を持って生きていれば、きっとなんとかなる」ことくらいですかね、でも本当に大したことないので暇すぎる方だけご覧ください!

小学生時代

生まれはポテンシャル高めの人でいいよね、ということで小学生から。小学生の僕はデブでした。

習い事は水泳、サッカー、書道、ピアノと貧乏な家庭と言いつつ、なかなかやっておりました。(今となっては、親に感謝ですね。)

ただね、当時は自分の意思というより、やらされていたの方が近い気がする。

辞め時も分からなかったし、高学年になるとデブという身体的ハンデもあり、運動系は辛かった記憶があります。

そもそもこの頃から意思がある子どもってすごいですけど、そういう意味で、僕はポテンシャルなかったんですかね(笑)。

デブでも一番女性からモテたのもこの頃でした!基準はバレンタインのチョコで貰えた数です。

  • 大人になって同窓会して、「あの時デブだったのにめっちゃモテて、みんな見る目あったよね」と自画自賛で当時チョコをくれた女性たちと話していて、実は、僕にチョコあげるとお返しいいものくれるからあげただけ、ということを大人になって知った時ほど悲しいものはありません!ある意味その女性たちは見る目があったということです

中学生時代

中学生の僕もデブでした。

この時から自分の醜さに気付き始めて(遅いけど)、この姿で女性と話すのは失礼だからと女性を避けていました(避けられていたのかもしれないが、僕が避けていたことにしてあげて下さい(笑))。

デブでも友達には恵まれておりました。理由は大乱闘スマッシュブラザーズが最強だったからだと思います(笑)。

女性にはスポーツができないとモテないが、男性からはゲームができるだけで友達には困りません!

デブでも運動が好きだったので、部活はデブでも運動部で勝てそうな卓球部にしました。

読み通り、中野区の人だったのですが、区では2年目から1番強い人になりました(実践学園とかいう全国クラスは除外)。

明大中野とかいう学校にラブゲーム(11対0)してやった時に「あのデブつえー」と聞こえるように”褒め”られたのは、今でも忘れません!

都大会では64位くらいまで止まりでしたが、学校では初の快挙だったようでちやほやされた記憶もあります。

(その先の壁は厚すぎて、練習場所が廊下しか与えられない環境では限界がありました)

頭のよさは普通です、数学だけは得意でした。外面がよかったのか、テストの点数は高くなかったけど内申だけ謎に高いやつでした。

高校は金がないから都立で偏差値〇〇以上とかであればどこでもよいし好きなもの買ってやるよという親のてきとーな目標を目指し、問題なく志望校に合格できました。

なんでも買っていいよと言われたのに、金がないので、そこそこ(当時は)いいステレオを買ってもらいました。それから、大学生頃まで小田和正かZARDを聞きながら寝る子になりました。

高校生時代

高校生の僕もデブでした。

但し、毎日片道30分のチャリ通が功を奏し、高校2年の文化祭で(全くそっち系の人ではないですが、劇のため)メイド服を着る機会があり、くびれができるくらい痩せ、(女性からモテるために)色気付き始めました。

部活は変わらず卓球部で、先輩の引退試合の団体戦で2対2で最後が自分。相手は1個上の個人戦準優勝の格上でしたが、見事ぶち負かし引退を伸ばして言ってやりましたよ天才のセリフ(先輩は泣かなかったけどな!)。

伝説の漫画スラムダンク】ファン歴25年の僕がスラムダンクの面白さを伝えます。「要チェックや!」 | yatablog
出典:漫画スラムダンクより引用

翌年は先輩がいなくなって弱小化したため、受験に向けて一緒に引退することにしました。

それから、めちゃくちゃ好きだった女性から「バレンタインの時にチョコ上げたいんだけど」って言われて人生勝った!と思い、ホワイトデー頃に生まれて初めて告白して振られてから、女性を信じることを止めようと思ったのもこの頃です。

頭のよさは数学と化学はでき、後は普通もしくはできない方でした。

僕は理系だと四方八方から洗脳されて生きてきたので、理系で早慶目指してましたが、数学以外は全く勉強する気が起きず、案の定、早慶は落ちました。

幸いMARCHレベルだと受験科目が数学と化学と英語のみでよかったので、そこらへんの大学レベルは合格できました。

但し、合格したところは女性がほとんどいないことを知りました。

信頼できないのでいいやとも思いましたが、このまま一生童〇はまずい!ということで理系でも女性が多いイメージが強かった、明治大学の建築学科に進学することになりました。

大学生時代

ほとんどの人が建築を学びたいからという強い目標があり、自分は不純な理由で建築を選んだため、ギャップがありました。ただ、建築を学びながらその面白さに気付くのは遅くはなかったかと思います。

僕が学部2年になってから、全国の建築学生の若手向けに新人戦というコンペができ、過去作品を提出して上位100までは選ばれたりはしました。

図書館

その後もオフィス、商業施設、駅などの作品を作っていき建築漬けの日々を過ごしておりました。

クライアントの課題を想像し、街のコンテクストを読み取りながら寝る間も惜しみ、友達やプロの建築家と何度も何度も議論や検証を重ねて形にしていくプロセスは、仕事にも通じるものがあり今となっては大変貴重な経験です。

この頃に、自分の将来にも影響するようなできごとがありました。2011年3月11日の東日本大震災です。

研究室が都市計画を専門にしていたこともあり、

現地で何かできることがないか話を伺いに何度か訪れましたが、復興に関する机上での空論に近い議論となり、

結果、

話を聞くくらいでしかできませんでした。

それに無力さを感じ、建築へのモチベーションが一気になくなっていきました。

一方で、何かできることがないか模索しておりました。

幸いにして、同じように考えていた方が先輩たちがいました。

今は、HADOの偉い人にもなっているF先輩やリクルートにいったI先輩です。

ちょうどお声がけ頂き、被災地と遠方からの支援者をマッチングさせるIT×復興をキーワードにしたVolunteer Japanという非営利活動団体に携わることになりました。(当時は洒落たHPなんかも作っておりました)

実際に物資を送り届けたり、マッチングさせることができたりもしました。

しかしながら、非営利というところで資金もなく運営が厳しくなり、1年程度の活動と長くは続きませんでした。

実際に経験してみて、IT×〇〇の〇〇の復興が難しかっただけで、建築よりITの可能性が物凄くある実感はありました。

当時、建築家を目指すために大学院への進学を決めていたものの、大学院での2年間はITの世界に飛び込んでいくことを決断しました。

大学院時代

めちゃくちゃインターンやビジネスコンテス、街コンを自分でやってみたりしました!

某企業の事業企画インターンでは、実際にサービス化して運営するレベルのものができたり、コンペでも優勝したり、なんかIT系ってイケるかもって自信にも繋がっていきました。

研究室外の活動を中心にしていたため、(偽りを含むFacebook)友だちは500名以上増えました。

  • 本業にあたる大学院の授業は奨学金をもらい続けられるくらいの単位程度に出席し、研究室の活動も多少怒られながらハブられない程度に出席しておりました
コンペ含めて、データがあったプレゼン資料たち

そして、インターンをきっかけに頂いた企業から内定を頂くこともできました。

そのため、いわゆる一括採用時期での就活はあまりせず、僕の就活を終わりました。

それから、内定者アルバイトで稼ぎながら修士論文をさらーっと書き上げ学生時代は終了となります。

一番さらーっと終わらせてしまった大学院時代もめちゃくちゃ濃く、今の僕のベースができあがった気がします。

この時に出会った知人は、建築をやっているだけでは味わえない刺激が多く、社会人になってもちょくちょく会うといつも刺激を貰えております。

もちろん建築時代の友達も、今となっては業種が全く異なってしまい、同様に刺激をたくさん貰えております!

友だちには感謝、感謝、感謝です!

社会人時代

家賃手当てが出るからと、会社の近くに家を借り、それは、それは働きました。

今の時代に合わない働き方もしていた時(させられたの方がちかい?)もありました。

事業会社からコンサルティングファームに転職した1年目がいろいろな意味で辛かったです。当時の上司が、結果として警察に捕まるくらいやばいやつだったということもあり、今となってはいい思い出です(笑)

転職2回して今3社目なので、とりあえずそこまで振り返ります。

2014.04~2016.09 某Web系企業編

Web系といっても、ソーシャルゲームプラットフォームや自社Webゲームを主要ビジネスとした会社です。

PM(たしかプロダクトマネージャー)職で入社でした。

コンプガチャ問題が世間を騒がしている中、圧倒的収益から先輩方は優秀な方々が集まっていました。

1年目から諸先輩方に何か1つでも勝とうと思い、どんなに遅くなっても誰よりも早く出社してました。

え、そこで一番になる意味ある!?と思われた方、僕も最初はそうでした(笑)

やってみると意外によくて、

あいつは朝が早い、遅刻しないブランディングができてきて、能力はまだまだだけどコミットする姿勢からか徐々に任される仕事も増えていったような気がします(笑)

そんな地道な努力もあり、それなりの実績やキャリアもつけさせて頂くことができました。

  • 1年後は内製Webゲームの企画責任者に就任し、チーム内メンバー6名のマネジメントも経験
  • 全担当施策で四半期売上を対事業KPIで100%以上貢献し、自身で主導企画した大型IPコラボ案件で売上爆上げ(対事業KPI182%)の貢献
  • 自社の年間売上No.1ゲームに成長し、僕のチームで全社MVP受賞

唯一の不満は、結果を出しても年収がぜんぜん上がらなかったことです。

会社が六本木だったので、家は白金高輪にした結果、収入と支出のバランスが悪すぎて全くお金が貯まりませんでした(笑)

(お金ももっとほしくなり)

Webゲーム市場はいつかなくなることもあって、

もっと伸びていく市場でチャレンジした方が、自分の人材価値といった観点からも重要なので、転職(ジョブチェンジ)という選択を取りました。

2016.10~2019.12 某コンサルティングファーム編

更なる成長環境を求め、選択肢はいくつかありましたが、結果として某コンサルティングファームに第2新卒という形で転職しました。

エージェントからはソーシャルゲームをひたすら進められ、ぜんぜんこちらの想いを尊重してくれなかったので、コンサルティングファームには自らすみませーん、と飛び込んでいきました。

第2新卒にした理由は、大きく3つあります。

  1. 他の新卒よりも経験値がある状態でプロパー扱いになり、きっと同世代よりできる人に見られそう
  2. 配属までの研修も新卒並みに充実し、転職後のミスマッチリスクを下げることができる
  3. 年収も下がらなかった
  • 但し、アナリストからのスタートとなってしまったため、生き急いでいる方にはおすすめしません

実際に、学生上がりに比べたらそれなりにできている風に見せられたかと思います(多分)。

1年目のボスは、社内で超(やばいと)有名なやつでした。

例えて言うなら、ポル・ポト政権下にぶちこまれたただの住民といった感じです(世界史よく分からないけど、周りでそういう噂になっていた)。

新しく入った人は直ぐに(病んだりで)いなくなり、次第に新しい人が入ってこなくなり、僕(と生き残った4名)は抜けることは許されず、

そのやばい環境で2年弱囲われた結果、もうたいていの案件は怖くないストレス耐性がつきました(笑)

そして、幅広く経験ができ、経歴書にもそれなりにできそうな人と思われそうな実績も残せました。

  • 中心顧客はSoftware&Platform領域の事業推進経験からEC・メディア・通信関連の大手企業
  • アプリサービスの成長戦略策定から実運用を仕組化(KGI達成率も150%以上だった気がします)
  • CRMを活用してインサイドセールスセンター新規立ち上げ、
  • システム統合推進PMO支援
  • 業務改革に向けた業務分析から改革施策策定
  • 新卒研修のファカルティ
  • 現場任されクライアントとの折衝で自ら案件獲得
  • 後輩コンサルタントの育成、マネジメント

不自由はなかったのですが、

女性が (特に実績もないポンコツでも) 昇進しやすくなったり、

(特に若手の)人取りすぎて人材の質やアウトプットの質の低下(自分よりキャリアレベル上なのにポンコツみたいな)に嫌気がさしていた頃、今の会社からお誘いがありました。

コンサルティングファームは(その他どこの企業もですが)人材が足りておらず、かつジョブ型の働き方なので、他社と比べて年収を高い方を選ぶ傾向があることから、転職の方が年収は上がりやすかったりします。

その流れに乗り、同じ役割で年収が1.5倍近く上がるのならばということで、僕も転職することになりました。

  • コンサルティングファームへの転職に興味ある方は、いつでもご相談ください

2020.01~現在 某コンサルティングファーム編

転職した頃はシニアコンサルタントとして参画しました。

そこから、前職と同様の内容で働きながら、1年でマネージャーに昇進できました。

(前職だったらもう一年は同じ役割だったので、キャリアアップのスピード感でも結果として転職成功かと)

人材育成が僕の直近の課題と認識しており、地道に成功体験を増やしていきたいと思ってます。

とはいえ、人によって育て方もぜんぜん違うし、仕組み化できるのかよといった感じでめちゃくちゃ難しいです。。。

コンサルティングファームに興味ある方は、僕がめちゃくちゃ尊敬かつ共感している考えるエンジンチャンネルの「コンサルの心得99」を見てもらい、同じような心得を持つことができそうな方は是非一度ご連絡ください。

まとめ

ここまでご丁寧にご覧頂きありがとうございました。

前半の暗黒時代から大変な時もありましたが、血みどろになりながらもなんとか乗り越えて、挽回してきています。

ざっくりまとめるとこんな感じでしょうか。

STEP
暗黒の学生時代
  • ゲームがうまく卓球部エースの男友達は多いデブが、痩せたからといってモテるわけがない現実を知る悲しい元デブ
  • 好きなことをとことんやっても、人生うまくいかないことを悟る受験生
  • 建築にそれなりにハマってきた矢先、東日本大震災で建築を学び続けることに絶望する建築大学生
STEP
ITに浮気して建築と別れた大学院生
  • 大学院には奨学金を貰えるくらいにコミットし、メインはインターンやコンペに出まくった
  • 結果も出し、(偽りを含むFacebook)友だちは500名以上増えました
STEP
なんかそれっぽくなってきたサラリーマン
  • それなりに結果を出しても年収が伸びずがっかりするWeb系事業会社のプロダクトマネージャー
  • 更なる成長環境(とお金)を求めて経営コンサルタントにジョブチェンジ
  • 収入を増やすために転職し、かつ奇跡的に1年でマネージャーになった経営コンサルタント

今後どうなるか、定期的にアップデートしていきたいと思います。

いったんこれにて、おしまいっ!